平衡状態にある系に外部から変化を加えると、平衡は移動します。
その方向を予測する強力な原理がルシャトリエの原理(平衡移動の原理)です。
「変化をやわらげる方向に移動する」——この一言でほぼすべての平衡移動が説明できます。
フランスの化学者アンリ・ルシャトリエは 1884 年、次の原理を提唱しました。
化学平衡は、濃度・圧力・温度などの条件を変化させると、その影響をやわらげる向きに移動し、新しい平衡状態になる。
「やわらげる」という言葉が核心です。加えられた変化を完全に打ち消すのではなく、「あらがう方向に少し移動する」と覚えておきましょう。平衡が移動しても、変化の影響が完全になくなるわけではありません。
この原理は、気液平衡(蒸発・凝縮)や溶解平衡(固体の溶解)にも適用できる普遍的な原理です。
H2(気)+ I2(気)⇄ 2HI(気)が平衡状態にあるとき、H2 を加えると——
| 操作 | 平衡移動の方向 | 理由 |
|---|---|---|
| 反応物を加える | 正反応方向(→) | 反応物の濃度増加をやわらげる |
| 反応物を取り除く | 逆反応方向(←) | 反応物の濃度減少をやわらげる |
| 生成物を加える | 逆反応方向(←) | 生成物の濃度増加をやわらげる |
| 生成物を取り除く | 正反応方向(→) | 生成物の濃度減少をやわらげる |
濃度が変化しても温度が変わらない限り K の値は一定です。物質を加えると一時的に K の式の値が K からずれますが、平衡が移動することで再び K と等しい値に戻ります。つまり、「平衡が移動する」とは「K の値を保つように各濃度が調整される」ことを意味します。
NaCl 飽和水溶液(NaCl ⇄ Na+ + Cl−)に HCl(気)を通じると、Cl− 濃度が増加し、ルシャトリエの原理により NaCl の析出方向(左向き)に平衡が移動します。このように、平衡に関わるイオンと同じイオンを加えることで平衡移動が起こる現象を共通イオン効果といいます。
気体が関与する反応では、体積を変えることで圧力が変わり、平衡が移動します。
体積を小さくする(加圧)と、気体の圧力が上昇します。ルシャトリエの原理より、圧力を下げる方向、すなわち気体分子の総数が減少する方向に平衡が移動します。
| 操作 | 気体分子数の変化 | 平衡移動の方向 |
|---|---|---|
| 加圧(体積を小さく) | 全圧が上昇 | 気体の mol 数が減る方向 |
| 減圧(体積を大きく) | 全圧が低下 | 気体の mol 数が増える方向 |
| 体積一定で不活性気体(Ar 等)を加える | 各成分の分圧・濃度は不変 | 移動しない |
H2 + I2 ⇄ 2HI のように、反応の前後で気体分子の総数が変わらない反応(左辺: 1+1=2 mol、右辺: 2 mol)では、加圧しても平衡は移動しません。圧力変化による平衡移動が起きるのは、前後で気体の mol 数が異なる反応のみです。
無色の N2O4(左辺: 1 mol)と赤褐色の NO2(右辺: 2 mol)の平衡では、加圧すると分子数が減る左向き(N2O4 生成方向)に移動し、混合気体の色が薄くなります(一時的に濃くなった後、薄くなる)。
温度を変えると、K の値そのものが変化します(濃度・圧力変化とは本質的に異なります)。
| 操作 | 平衡移動の方向 | K の変化 |
|---|---|---|
| 加熱(温度を上げる) | 吸熱方向(ΔH > 0 の方向) | 変化する(吸熱方向が有利になるよう) |
| 冷却(温度を下げる) | 発熱方向(ΔH < 0 の方向) | 変化する(発熱方向が有利になるよう) |
この反応は正反応(NH3 生成)が発熱反応(ΔH = −92 kJ)です。
正反応(NO2 生成)が吸熱反応です。加熱すると吸熱方向(正反応)に移動し、赤褐色の NO2 が増えて色が濃くなります。
濃度変化・圧力変化では K は変化せず、各物質の濃度が K を保つように再調整されます。一方、温度変化では K 自体が変化します。「温度を上げると K が大きくなる」か「小さくなる」かは、正反応が吸熱か発熱かによって異なります。この区別が入試での頻出論点です。
触媒は正反応と逆反応の両方の活性化エネルギーを同じだけ低下させます。そのため、正反応速度と逆反応速度はどちらも大きくなりますが、両者の比は変わりません。
| 触媒の効果 | 内容 |
|---|---|
| 正反応速度 | 大きくなる |
| 逆反応速度 | 大きくなる(同じ割合で) |
| 平衡定数 K | 変化しない |
| 平衡移動 | 起きない |
| 平衡に達する時間 | 短くなる |
触媒を使っても最終的に達する平衡状態(各物質の濃度比)は変わりません。ただし、平衡に達するまでの時間が短縮されます。工業的製法で触媒を使う理由は「生成率を上げるため」ではなく「速く平衡に達するため(生産効率の向上)」です。
N2(気)+ 3H2(気)⇄ 2NH3(気) ΔH = −92 kJ
この反応について、ルシャトリエの原理から各条件がアンモニアの生成率に与える影響を整理します。
・高圧:気体分子数が 4→2 に減る正反応方向に移動
・低温:発熱方向(正反応)に移動し K が大きくなる
・NH₃ の除去:生成物が減り正反応方向に移動
・低温にすると反応速度が遅すぎる
・高圧にすると装置強度のコストが増大
・速度と平衡のバランスが必要
このトレードオフを解決したのが、1913 年にハーバーとボッシュが開発したハーバー・ボッシュ法です。
| 工業的条件 | 値 | 理由 |
|---|---|---|
| 圧力 | 約 3.0×107 Pa(約 300 気圧) | 高圧で NH3 生成率を高める。装置強度との兼ね合い |
| 温度 | 400〜500℃ | 触媒を使い、低温すぎずに速度を確保。平衡は低温が有利だが速度との妥協点 |
| 触媒 | Fe3O4(+ Al2O3、K2O) | 活性化エネルギーを下げて平衡到達を速める |
| NH3 の分離 | 冷却・液化して取り出す | 生成物を除去し正反応方向に平衡を維持。未反応の N2・H2 は再利用 |
低温(例:300℃)では K が大きく NH3 生成率は高いが、反応速度が遅すぎて工業的に使い物にならない。高温(例:700℃)では速度は十分でも K が小さく NH3 生成率が低い。400〜500℃ は「生成率と速度のバランスが最もよい」実用上の最適点です。触媒の存在により、この温度でも実用的な速度が得られます。
ルシャトリエの原理は化学平衡の「定性的な予測ツール」であり、様々な場面に応用されます。
Q1. N2 + 3H2 ⇄ 2NH3(ΔH = −92 kJ)が平衡状態にある。温度を上げると平衡はどちらに移動するか。また K はどうなるか。
Q2. 2SO2(気)+ O2(気)⇄ 2SO3(気)が平衡状態にある。体積を半分にした(加圧)とき、平衡はどちらに移動するか。
Q3. 平衡状態にある系に触媒を加えたとき、平衡定数 K はどうなるか。その理由も述べよ。
Q4. ハーバー・ボッシュ法で高温(400〜500℃)を使うのはなぜか。低温の方が NH3 の生成率が高いのではないか。
基礎(A)から発展(C)まで段階的に取り組んでみてください。
次の可逆反応が平衡状態にある。
2NO2(気、赤褐色)⇄ N2O4(気、無色) ΔH = −57 kJ
この平衡に関する記述として正しいものを、次の①〜⑤からすべて選べ。
②④⑤
①が誤り。正反応(N2O4 生成)は発熱(ΔH = −57 kJ)なので、温度を上げると吸熱方向(逆反応:NO2 生成方向)に移動し、赤褐色の NO2 が増えて色は濃くなります。
③が誤り。触媒は平衡を移動させないため、N2O4 の生成率は変わりません。
②正しい。加圧で気体 mol 数が減る方向(2→1)に移動。④正しい。発熱反応なので低温にすると発熱方向(正反応)が有利になり K が大きくなる。⑤正しい。体積一定で不活性気体を加えても各成分の分圧・濃度は変化しない。
次の可逆反応が平衡状態にある。
2SO2(気)+ O2(気)⇄ 2SO3(気) ΔH = −198 kJ
この反応は SO3(三酸化硫黄)の工業的製造(接触法)に用いられる。
(1) SO3 の生成率を高くするには、温度と圧力をそれぞれどのようにすればよいか述べよ。また、その理由をルシャトリエの原理を用いて説明せよ。
(2) 触媒(V2O5)を使用しても SO3 の生成率は変わらない。その理由を述べよ。
(1) 温度:低温にする。正反応が発熱反応(ΔH = −198 kJ)なので、温度を下げると発熱方向(正反応:SO3 生成方向)に平衡が移動して生成率が高くなる。
圧力:高圧にする。左辺の気体の mol 数(2+1=3)が右辺(2)より多く、加圧すると気体 mol 数が減る正反応方向に平衡が移動して生成率が高くなる。
(2) 触媒は正反応と逆反応の活性化エネルギーをともに同じだけ低下させるため、正逆両方の反応速度が同等に速くなる。平衡定数 K の値は変化せず、最終的な平衡状態(各物質の濃度比)は変わらないため、SO3 の生成率は変化しない。
接触法はハーバー・ボッシュ法と同様、低温が熱力学的(生成率)には有利ですが反応速度が遅くなるトレードオフがあります。工業的には V2O5 触媒を用いて 400〜600℃ で行われます。
アンモニアの工業的合成(ハーバー・ボッシュ法)について、次の問いに答えよ。
N2(気)+ 3H2(気)⇄ 2NH3(気) ΔH = −92 kJ
(1) 高圧・低温にするほど NH3 の生成率が高くなる理由を、それぞれルシャトリエの原理を用いて説明せよ。
(2) 工業的には 400〜500℃ という比較的高い温度が採用されている。なぜ低温(例:200℃)にしないのかを、反応速度の観点から説明せよ。
(3) 生成した NH3 を冷却・液化して系から取り出す操作を行う理由を、ルシャトリエの原理を用いて述べよ。
(4) この条件選定はルシャトリエの原理と反応速度論の「トレードオフ」の典型例である。この考え方が適用される別の工業的製法を1つ挙げ、その概要を述べよ。
(1) 高圧:反応式の左辺の気体 mol 数(1+3=4)が右辺(2)より多い。加圧すると圧力上昇をやわらげる方向、すなわち気体 mol 数が減る正反応方向(NH3 生成)に平衡が移動するため生成率が高くなる。
低温:正反応が発熱反応(ΔH = −92 kJ)なので、低温にすると温度低下をやわらげる方向、すなわち発熱方向(正反応)に平衡が移動し、平衡定数 K が大きくなって NH3 の生成率が高くなる。
(2) 低温では反応の活性化エネルギーを超えられる粒子数が極端に少なくなり、反応速度が非常に遅くなる。平衡に達するまでの時間が実用上許容できないほど長くなるため、触媒を用いても工業的な生産効率を確保できない。
(3) NH3(生成物)を系から取り除くと、ルシャトリエの原理により生成物の濃度減少をやわらげる正反応方向(NH3 生成方向)に平衡が移動し続けるため、高い転化率でアンモニアを合成できる。また未反応の N2・H2 を再利用することで原料の無駄も省ける。
(4) 例:接触法による SO3 の製造。2SO2 + O2 ⇄ 2SO3(ΔH = −198 kJ)。低温・高圧が熱力学的に有利だが、低温は速度が遅すぎるため V2O5 触媒を用いて 400〜600℃ で操業する。ハーバー・ボッシュ法と同じ「速度と平衡のバランス」の考え方が適用される。
(1)(2) ルシャトリエの原理と反応速度論の両面から条件を考察する総合問題です。「生成率が高い条件(低温)」と「速度が速い条件(高温)」が矛盾するトレードオフを理解することが核心です。
(3) 生成物の除去により平衡が正反応方向に移動し続けることで、単純な平衡状態よりも高い総転化率が実現します。これは「平衡をずらし続ける」戦略です。
(4) 他の例として:オストワルト法(4NH3 + 5O2 ⇄ 4NO + 6H2O、Pt 触媒使用)なども正解です。