ベンゼン C6H6 は芳香族化合物の基本骨格です。
正六角形の炭素骨格と非局在化π電子によって生まれる特異な安定性が、芳香族化学の核心です。
脂肪族とは異なり付加反応ではなく置換反応が起こりやすい理由を電子論から理解することが目標です。
ベンゼン(benzene)は分子式 C6H6 で表される炭化水素です。6個の炭素原子が正六角形に結合し、それぞれに水素原子1個が結合しており、すべての原子が同一平面上にあります。
物性:無色の液体(沸点 80°C、融点 5.5°C)、密度 0.88 g/cm³ で水より軽く、水にほとんど溶けない。特有のにおいをもち、有毒で発がん性がある。
1865年にケクレ(ドイツ)は、単結合と二重結合が交互に並んだ構造(ケクレ構造式)を提唱しました。しかし実際のベンゼンでは、炭素原子間の結合距離はすべて0.140 nmで等しく、単結合(0.154 nm)と二重結合(0.134 nm)の中間の値をとります。
ベンゼン環の二重結合を形成するとみなされるπ電子は、実際には6個の炭素原子全体で非局在化(共鳴)しています。これにより炭素−炭素結合が均等化されると同時に、系が大きく安定化されます(芳香族性)。
水素化熱の比較:シクロヘキセンの水素化熱は約120 kJ/molであり、単純に3倍すると仮想上の1,3,5-シクロヘキサトリエンは約360 kJ/molとなるはずです。しかしベンゼンの実測水素化熱は約208 kJ/molしかなく、この差(約150 kJ/mol)が非局在化による安定化エネルギー(共鳴安定化エネルギー)を示します。
ベンゼンは炭素の割合が高いため(C : H = 6 : 6 = 1 : 1)、不完全燃焼しやすく、空気中では多量のすすを出して燃えます。
2C6H6 + 15O2 → 12CO2 + 6H2O
ベンゼンは不飽和化合物ですが、アルケンやアルキンとは異なり、臭素水と室温では反応しません。これはベンゼン環が非局在化によって高度に安定化されており、付加反応によってベンゼン環の構造が壊れるとエネルギー的に不利になるためです。
ベンゼンに濃硝酸と濃硫酸の混合物(混酸)を加えて約60°C に加熱すると、ニトロ基 −NO2 が置換したニトロベンゼン C6H5NO2 が生じます。
C6H6 + HNO3 → C6H5NO2 + H2O
(濃硫酸:触媒)
ニトロベンゼンは無色〜淡黄色の液体で、水に溶けにくく、中性です。アニリンの製法の出発原料となります(→ 21-4)。
ベンゼンに鉄粉を触媒として塩素 Cl2 を作用させると、塩素原子が水素原子を置換したクロロベンゼン C6H5Cl が生じます(塩素化)。同様に臭素 Br2 を用いるとブロモベンゼン C6H5Br が得られます(臭素化)。
C6H6 + Cl2 → C6H5Cl + HCl(Fe 触媒)
C6H6 + Br2 → C6H5Br + HBr(Fe 触媒)
ベンゼンと臭素の反応は鉄粉(または FeBr3)などのルイス酸触媒が必要です。アルケンが触媒なしで臭素水と反応するのとは対照的です。「臭素水にベンゼンを加えても脱色しない」という事実は頻出の確認事項です。
ベンゼンに濃硫酸(発煙硫酸)を加えて加熱すると、スルホ基 −SO3H が導入されたベンゼンスルホン酸 C6H5SO3H が生じます。
C6H6 + H2SO4 → C6H5SO3H + H2O
ベンゼンスルホン酸は水によく溶け、水溶液は強い酸性を示します。
ベンゼンは付加反応を起こしにくいですが、例外的に起こる場合もあります。
| 反応の種類 | 試薬・条件 | 生成物 |
|---|---|---|
| ニトロ化 | 混酸(HNO3+H2SO4)、加熱 | ニトロベンゼン C6H5NO2 |
| 塩素化 | Cl2、Fe 触媒 | クロロベンゼン C6H5Cl |
| 臭素化 | Br2、Fe 触媒 | ブロモベンゼン C6H5Br |
| スルホン化 | 濃 H2SO4、加熱 | ベンゼンスルホン酸 C6H5SO3H |
| 水素化(例外的付加) | H2、Ni 触媒・加圧 | シクロヘキサン C6H12 |
ベンゼン環の水素原子をアルキル基で置換した化合物をアルキルベンゼンといいます。代表的なものを以下に示します。
| 名称 | 分子式 | 構造の特徴 | 主な用途 |
|---|---|---|---|
| トルエン(methylbenzene) | C6H5CH3 | メチル基1個 | 溶媒、TNT の原料 |
| o-キシレン | C6H4(CH3)2 | メチル基2個(隣接) | フタル酸の原料 |
| m-キシレン | C6H4(CH3)2 | メチル基2個(1,3-位) | — |
| p-キシレン | C6H4(CH3)2 | メチル基2個(対位) | テレフタル酸の原料(PET) |
| ナフタレン | C10H8 | 2個のベンゼン環が縮合 | 防虫剤、染料 |
ベンゼン環に直接結合した炭化水素基(アルキル基)は、過マンガン酸カリウムなどの酸化剤によってカルボキシ基 −COOH に酸化されやすい性質をもちます。炭化水素鎖の長さに関係なくカルボキシ基1個になります。
トルエン(C6H5CH3)→ [KMnO4 酸化] → 安息香酸(C6H5COOH)
o-キシレン → 酸化 → フタル酸
p-キシレン → 酸化 → テレフタル酸
トルエンに常温で混酸を作用させると、メチル基の o 位・p 位にニトロ基が導入された o-ニトロトルエンと p-ニトロトルエンの混合物が得られます。さらにニトロ化を進めると2,4,6-トリニトロトルエン(TNT)が生成します。TNT は淡黄色の針状結晶で爆薬として使われます。
ベンゼンの化学は「安定な環状共役系から何ができるか」というテーマで有機化学と無機化学をつなぐ節点です。
Q1. ベンゼンが付加反応を起こしにくく置換反応を起こしやすい理由を、「非局在化」「芳香族性」という語を用いて説明せよ。
Q2. ベンゼンのニトロ化・スルホン化・塩素化の試薬と条件をそれぞれ答えよ。
Q3. トルエンを酸化剤で酸化すると何が得られるか。また p-キシレンを酸化すると何が得られるか。
Q4. ベンゼンと臭素水を混合しても反応が起こらないのはなぜか。また、ブロモベンゼンを生成させるにはどうすればよいか。
基礎(A)から発展(C)まで段階的に取り組んでください。
ベンゼンの性質や反応に関する記述として正しいものを、次の①〜⑤からすべて選べ。
②③④
① 誤り。ベンゼンは芳香族性が高く付加反応を起こしにくいため、臭素水を脱色しない。② 正しい。ベンゼンの C−C 結合距離はすべて 0.140 nm で単結合(0.154 nm)と二重結合(0.134 nm)の中間。③ 正しい。Fe 触媒下での置換反応(塩素化)。④ 正しい。スルホン化反応。⑤ 誤り。ベンゼンは C の割合が高く、燃焼時には多量のすすを生じる(不完全燃焼)。
次の各問いに答えよ。
(1) トルエン C6H5CH3 を過マンガン酸カリウム水溶液で酸化したときに得られる生成物の名称と示性式を書け。
(2) p-キシレン C6H4(CH3)2 を酸化して得られる化合物 X は、エチレングリコールと縮合重合してポリエステル(PET)をつくる。化合物 X の名称を答えよ。
(3) ベンゼンに混酸(濃硝酸と濃硫酸)を作用させたときの化学反応式を書け。
(1) 安息香酸(C6H5COOH)。ベンゼン環に直接結合したアルキル基はその炭素数に関わらずカルボキシ基に酸化される。
(2) テレフタル酸(HOOC−C6H4−COOH、p 位)
(3) C6H6 + HNO3 → C6H5NO2 + H2O(濃 H2SO4 触媒)
(1) 「ベンゼン環に直接結合した炭化水素基はその長さに関係なく −COOH に酸化される」ことが重要です。エチルベンゼンでも安息香酸が生じます。(2) p-キシレンのメチル基2個が酸化されてカルボキシ基2個になるとテレフタル酸(COOH 基が p 位)になります。(3) ニトロ化の反応式は頻出。濃硫酸は触媒として機能し、式中には書かないか括弧で示します。
分子式 C8H10 で表される芳香族炭化水素 A〜D がある(A〜D は互いに構造異性体)。次の問いに答えよ。
(1) A〜D の構造異性体として考えられるすべての構造を示し、それぞれの名称(慣用名または IUPAC 名)を書け。
(2) A〜D を過マンガン酸カリウム水溶液で酸化したとき、生成する有機化合物が1種類のカルボン酸のみとなるものをすべて選び、その生成物の構造式と名称を書け。
(3) (2)で選んだ化合物のうち、生成するカルボン酸がジカルボン酸(COOH 基を2個もつ)となるものはどれか。また、そのジカルボン酸はポリエステルの原料として利用される場合がある。そのポリエステルの名称を答えよ。
(1) 分子式 C8H10(不飽和度4→ベンゼン環1個)の芳香族炭化水素:
・エチルベンゼン(C6H5C2H5):ベンゼン環にエチル基1個
・o-キシレン(1,2-ジメチルベンゼン):メチル基2個(1,2-位)
・m-キシレン(1,3-ジメチルベンゼン):メチル基2個(1,3-位)
・p-キシレン(1,4-ジメチルベンゼン):メチル基2個(1,4-位)
(2) エチルベンゼン → 安息香酸(C6H5COOH、1種類)。
キシレン3種はいずれも2個のカルボキシ基をもつジカルボン酸を生じる(1種類だが2官能基)。
※「1種類のカルボン酸」のみとなるのは4種すべてだが、単一分子種という意味ではエチルベンゼン(→ 安息香酸)とキシレン3種(→ 各フタル酸異性体)が該当。
(3) p-キシレン → テレフタル酸(HOOC−C6H4−COOH)。エチレングリコールとの縮合重合でポリエチレンテレフタラート(PET)が得られる。
C8H10 の構造決定はベンゼン環(C6H5−)に残り C2H5 をどう配置するかがポイントです。エチル基1個またはメチル基2個(o, m, p の3通り)で合計4種類になります。アルキル基の酸化では炭素数に関係なく1個の −COOH が生じるため、エチルベンゼンからは安息香酸(モノカルボン酸)、各キシレンからはそれぞれフタル酸・イソフタル酸・テレフタル酸(ジカルボン酸)が生成します。PET は繊維・容器・フィルムに広く使われる重要な高分子です。