第21章 芳香族化合物

芳香族カルボン酸

芳香族カルボン酸の代表は安息香酸・フタル酸・テレフタル酸・サリチル酸です。
特にサリチル酸は−OH と −COOH の両方をもち、それぞれの官能基を使ったアセチルサリチル酸(アスピリン)とサリチル酸メチル(消炎剤)の合成反応が頻出です。
「どの官能基がどの試薬と反応するか」を整理することが目標です。

1安息香酸

安息香酸の基本性質

安息香酸(benzoic acid)C6H5COOH は白色の固体(融点 123°C)で、水には溶けにくいが熱水には溶けます。エーテルなどの有機溶媒にはよく溶けます。

カルボキシ基 −COOH をもつため弱酸であり、水溶液は酸性を示します。炭酸よりも強い酸なので、NaHCO3 水溶液と反応して CO2 を発生します(フェノールとの重要な違い)。

C6H5COOH + NaHCO3 → C6H5COONa + H2O + CO2

C6H5COOH + NaOH → C6H5COONa + H2O

安息香酸の製法

工業的・実験室的にはトルエン(またはエチルベンゼン)を酸化して得られます。

C6H5CH3 + [O] → C6H5COOH(KMnO4 などで酸化)

安息香酸は抗菌・静菌作用をもち、食品の保存料(安息香酸ナトリウム)として利用されます。

2フタル酸・テレフタル酸

ベンゼンジカルボン酸の3異性体

ベンゼン環に −COOH が2個結合したジカルボン酸には3種類の位置異性体があります。

名称−COOH の位置融点主な用途
フタル酸(phthalic acid)1,2-位(o-位)234°C無水フタル酸として合成樹脂・染料の原料
イソフタル酸1,3-位(m-位)
テレフタル酸(terephthalic acid)1,4-位(p-位)300°C(昇華)PET(ポリエチレンテレフタラート)の原料

テレフタル酸とPET

テレフタル酸はエチレングリコール(HOCH2CH2OH)と縮合重合してポリエチレンテレフタラート(PET)を生成します。PET はペットボトル・合成繊維(ポリエステル)・フィルムに広く利用されます。

n HOOC−C6H4−COOH + n HOCH2CH2OH →

−[OC−C6H4−COOCH2CH2O]n− + 2n H2O

(ポリエチレンテレフタラート PET)

フタル酸の特性:無水フタル酸の生成

フタル酸は o-位に2個の −COOH をもつため、加熱すると分子内で脱水して無水フタル酸を生じます。m-位や p-位のジカルボン酸では −COOH 同士が離れているため分子内脱水は起こりません。

3サリチル酸とその誘導体

サリチル酸の構造と性質

サリチル酸(salicylic acid)は、ベンゼン環にカルボキシ基 −COOH とヒドロキシ基 −OH の両方が結合した化合物です(構造式:2-ヒドロキシ安息香酸)。白色の固体(融点 159°C)で水に溶けにくい。

  • フェノール類の性質:−OH あり → FeCl3 水溶液で赤紫色呈色、NaOH と反応
  • カルボン酸の性質:−COOH あり → NaHCO3 と反応して CO2 発生、弱酸性

サリチル酸の製法

工業的にはナトリウムフェノキシドに高温・高圧下で CO2 を反応させてサリチル酸ナトリウムとし、希硫酸を加えてサリチル酸を遊離させます。

C6H5ONa + CO2 → HOC6H4COONa(高温・高圧)

HOC6H4COONa + HCl → HOC6H4COOH + NaCl(弱酸の遊離)

アセチルサリチル酸(アスピリン)の合成

サリチル酸に無水酢酸(または塩化アセチル)と少量の濃硫酸を加えると、−OH 基(フェノール性)がアセチル化されてアセチルサリチル酸(aspirin)が生じます。

HOC6H4COOH + (CH3CO)2O → CH3COOC6H4COOH + CH3COOH

(サリチル酸 + 無水酢酸 → アセチルサリチル酸 + 酢酸)

アセチルサリチル酸は白色の固体(融点 135°C)で水に溶けにくく、解熱・鎮痛・抗血栓薬として広く使われます。フェノール性 −OH がアセチル化されているため FeCl3 水溶液で呈色しません(−COOH は残存するので NaHCO3 とは反応する)。

サリチル酸メチルの合成

サリチル酸にメタノールと少量の濃硫酸を加えて加熱すると、−COOH 基がエステル化されてサリチル酸メチルが生じます。

HOC6H4COOH + CH3OH → HOC6H4COOCH3 + H2O

(サリチル酸 + メタノール → サリチル酸メチル + 水)

サリチル酸メチルは特有の芳香をもつ液体(融点 −8°C)で、筋肉痛や神経痛をやわらげる消炎鎮痛用塗布薬(湿布薬の香り成分)として利用されます。フェノール性 −OH が残存するため FeCl3 水溶液で赤紫色を呈します

サリチル酸誘導体の FeCl₃ 呈色まとめ(頻出)

・サリチル酸:フェノール性 −OH あり → 赤紫色呈色
・サリチル酸メチル:フェノール性 −OH あり → 赤紫色呈色
・アセチルサリチル酸:フェノール性 −OH なし(アセチル化済み)→ 呈色しない

化合物FeCl₃ 呈色NaHCO₃ との反応主な用途
サリチル酸赤紫色CO₂ 発生医薬品原料
アセチルサリチル酸呈色しないCO₂ 発生解熱鎮痛薬(アスピリン)
サリチル酸メチル赤紫色反応しない(−COOH なし)消炎鎮痛塗布薬

4この節を俯瞰する

芳香族カルボン酸は「−COOH をベンゼン環に組み合わせることで何ができるか」というテーマで、医薬品・高分子素材への直結が学習の動機になります。

  • 弱酸の遊離と酸の強さ → 14-4「電離平衡」:カルボン酸 > 炭酸 > フェノール類という序列が安息香酸 vs フェノールの NaHCO₃ への反応の差に直結します。
  • エステル化 → 20-3「カルボン酸」・20-4「エステル」:サリチル酸メチルの合成は −COOH のエステル化。アセチルサリチル酸は −OH のアセチル化(エステル化の一種)。
  • PET・テレフタル酸 → 高分子化合物:縮合重合の典型例。テレフタル酸 + エチレングリコール → PET という流れは必須。
  • サリチル酸の製法 → 21-2「フェノール類」:ナトリウムフェノキシドに CO₂ を反応させる反応はフェノール化学の応用。弱酸の遊離(CO₂ 通入でフェノール遊離)の逆を使います。
  • 医薬品化学:アスピリン(アセチルサリチル酸)は世界で最も歴史ある合成医薬品の一つ。プロスタグランジン合成酵素を阻害して解熱・鎮痛・抗血栓作用を示します。

5まとめ

  • 安息香酸 C6H5COOH:弱酸。NaHCO3 と反応して CO2 発生(フェノールとの違い)
  • フタル酸(o-位):分子内脱水 → 無水フタル酸。テレフタル酸(p-位):PET の原料
  • サリチル酸:−OH(フェノール性)と −COOH の両方をもつ
  • アセチルサリチル酸:サリチル酸 + 無水酢酸 → −OH がアセチル化(FeCl3 で呈色しない)
  • サリチル酸メチル:サリチル酸 + メタノール → −COOH がエステル化(FeCl3 で赤紫色呈色)

6確認テスト

Q1. 安息香酸とフェノールをそれぞれ NaHCO₃ 水溶液に加えたとき、反応するのはどちらか。その理由も述べよ。

▶ クリックして解答を表示安息香酸。カルボン酸は炭酸より強い酸なので NaHCO₃ と反応して CO₂ を発生させる。フェノールは炭酸より弱い酸なので NaHCO₃ とは反応しない。

Q2. サリチル酸に無水酢酸を作用させると何が生じるか。また、その生成物の FeCl₃ 水溶液に対する反応を述べよ。

▶ クリックして解答を表示アセチルサリチル酸が生じる。フェノール性 −OH がアセチル化されているため、FeCl₃ 水溶液を加えても呈色しない。

Q3. サリチル酸にメタノールと濃硫酸を加えて加熱すると何が生じるか。生成物の性質(FeCl₃ 呈色・NaHCO₃ との反応)も答えよ。

▶ クリックして解答を表示サリチル酸メチルが生じる(−COOH がエステル化)。フェノール性 −OH が残存するため FeCl₃ 水溶液で赤紫色を呈する。−COOH はエステルになっているため NaHCO₃ とは CO₂ を発生しない。

Q4. テレフタル酸はどのような化合物の原料として使われるか。縮合重合の相手の化合物名とともに答えよ。

▶ クリックして解答を表示エチレングリコール(HOCH₂CH₂OH)と縮合重合してポリエチレンテレフタラート(PET)を生成する。ペットボトルや合成繊維(ポリエステル)に利用される。

7入試問題演習

基礎(A)から発展(C)まで段階的に取り組んでください。

A 基礎レベル

21-3-1 A 基礎 選択

サリチル酸・アセチルサリチル酸・サリチル酸メチルに関する記述として正しいものを、次の①〜⑤からすべて選べ。

  • ① サリチル酸は FeCl₃ 水溶液を加えると赤紫色を呈する。
  • ② アセチルサリチル酸は FeCl₃ 水溶液を加えると赤紫色を呈する。
  • ③ サリチル酸メチルは NaHCO₃ 水溶液を加えると CO₂ を発生する。
  • ④ アセチルサリチル酸の水溶液は酸性を示す。
  • ⑤ サリチル酸に無水酢酸を作用させるとアセチルサリチル酸が生じる。
▶ クリックして解答・解説を表示
解答

①④⑤

解説

② 誤り。アセチルサリチル酸はフェノール性 −OH がアセチル化されており存在しないため呈色しない。③ 誤り。サリチル酸メチルは −COOH がエステル化されて存在しないため NaHCO₃ と反応しない。④ 正しい。−COOH が残存しているため弱酸性を示す。⑤ 正しい。サリチル酸の −OH(フェノール性)が無水酢酸でアセチル化されてアセチルサリチル酸になる。

B 標準レベル

21-3-2 B 標準 反応経路・記述

次の反応経路に従って、各問いに答えよ。

トルエン →(反応 A)→ 安息香酸 →(反応 B)→ 安息香酸ナトリウム →(反応 C)→ 安息香酸

(1) 反応 A で用いる試薬を答えよ。

(2) 反応 B で用いる試薬と、この反応の分類(反応の種類)を答えよ。

(3) 反応 C で用いる試薬と、この反応が起こる理由を「弱酸の遊離」という語を使って説明せよ。

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解答

(1) 過マンガン酸カリウム(KMnO₄)水溶液など(酸化剤)

(2) NaOH 水溶液。反応の種類:中和反応(酸塩基反応)

(3) 塩酸(HCl)などの強酸を加える。安息香酸(弱酸)のナトリウム塩に塩酸(強酸)を加えると、強酸が弱酸を塩から遊離させる「弱酸の遊離」が起こり、安息香酸が生じる。

解説

(1) ベンゼン環に直接結合したアルキル基は酸化されてカルボキシ基になります。強酸化剤が必要です。(2) 安息香酸は弱酸、NaOH は強塩基なので中和反応が起こります。(3) 弱酸の遊離は有機化合物の分離操作(21-5)でも使います。「強酸が弱酸の塩を分解する」という原理です。

採点ポイント
  • (1) KMnO₄ など酸化剤を答える(1点)
  • (2) NaOH と中和反応を答える(2点)
  • (3) 試薬と「弱酸の遊離」を使った説明(3点)

C 発展レベル

21-3-3 C 発展 計算・合成経路

サリチル酸(式量 138)からアセチルサリチル酸(式量 180)を合成する実験を行った。サリチル酸 2.76 g に無水酢酸(式量 102)を過剰量加えて反応させ、精製後にアセチルサリチル酸 2.70 g を得た。次の各問いに答えよ。

(1) この反応の化学反応式を書け。

(2) 理論上得られるアセチルサリチル酸の質量(g)を求めよ。

(3) 収率(実際の収量/理論収量 × 100)を求めよ。

(4) アセチルサリチル酸はアスピリン錠の主成分である。水酸化ナトリウム水溶液を加えて加熱するとアセチルサリチル酸は加水分解される。加水分解で生じる2種類の有機化合物の名称を答えよ。

▶ クリックして解答・解説を表示
解答

(1) HOC6H4COOH + (CH3CO)2O → CH3COOC6H4COOH + CH3COOH

(2) サリチル酸の物質量 = 2.76/138 = 0.0200 mol。
反応式より 1:1 のモル比でアセチルサリチル酸が生成。
理論収量 = 0.0200 × 180 = 3.60 g

(3) 収率 = 2.70/3.60 × 100 = 75.0%

(4) サリチル酸(HOC6H4COOH)と酢酸(CH3COOH)

解説

(1) サリチル酸の −OH が無水酢酸でアセチル化(エステル化)されて、アセチルサリチル酸と酢酸が生成します。(2)(3) 「サリチル酸 1 mol → アセチルサリチル酸 1 mol」の 1:1 関係から計算します。収率の計算は実験問題で頻出です。(4) エステル結合(−OCOCH₃ 部分)が加水分解されると、もとのサリチル酸の −OH が再生し、酢酸が生じます。アルカリ加水分解(けん化)なので塩の形になりますが、最終的に酸を加えて遊離させるとサリチル酸が得られます。

採点ポイント
  • (1) 反応式を正しく書く(2点)
  • (2) 理論収量 3.60 g を正しく求める(2点)
  • (3) 収率 75% を正しく求める(1点)
  • (4) サリチル酸と酢酸を答える(2点)