「直接測定できない反応熱を、別の反応の組み合わせから求めたい」——そのための強力な武器がヘスの法則(総熱量保存の法則)です。
反応熱の総和は経路によらず一定という事実を使えば、エネルギー図の操作だけで未知の ΔH を計算できます。
この節ではエネルギー図による解法と、生成熱を使った公式の2つの計算手順を習得します。
化学反応のエンタルピー変化(反応熱)は、反応物と生成物の状態が同じであれば、途中の経路によらず一定です。これをヘスの法則(総熱量保存の法則)といいます。
反応の最初と最後の状態が定まれば、全体のエンタルピー変化は反応の経路によらず一定である。
すなわち、同じ出発物と同じ生成物に至る経路が複数あっても、それぞれの ΔH の合計は等しくなります。
固体の NaOH と希塩酸から塩化ナトリウム水溶液が生じる変化には、2 つの経路があります。
経路 1(2 段階):まず NaOH を水に溶かし、次に希塩酸を加える。
NaOH(固) + aq → NaOHaq ΔH₁ = −45 kJ …①(溶解エンタルピー)
NaOHaq + HClaq → NaClaq + H₂O(液) ΔH₂ = −56 kJ …②(中和エンタルピー)
経路 1 の全体のエンタルピー変化:ΔH₁ + ΔH₂ = −45 + (−56) = −101 kJ
経路 2(1 段階):固体の NaOH をそのまま希塩酸に加える。
NaOH(固) + HClaq → NaClaq + H₂O(液) ΔH = −101 kJ …③
経路 1 の合計(−101 kJ)と経路 2 のエンタルピー変化(−101 kJ)が等しくなります。これがヘスの法則の成立を示す実例です。
ヘスの法則を利用すると、直接測定が難しい反応のエンタルピー変化も、他の反応のデータから間接的に求めることができます。反応式を組み合わせて消去する方法が基本です。
一酸化炭素 CO の生成エンタルピー(C(黒鉛)から CO が生成する ΔH)は、CO が不安定な中間体を経るため直接測定が困難です。しかし、以下の 2 つの燃焼エンタルピーは測定できます。
C(黒鉛) + O₂(気) → CO₂(気) ΔH₁ = −394 kJ …①(C の燃焼エンタルピー)
CO(気) + ½ O₂(気) → CO₂(気) ΔH₂ = −283 kJ …②(CO の燃焼エンタルピー)
求めたいのは:
C(黒鉛) + ½ O₂(気) → CO(気) ΔH = ? …③(CO の生成エンタルピー)
C(黒鉛)+ O₂(気)を出発点として CO₂(気)に至る経路を 2 通り考えます。
ヘスの法則から:ΔH₁ = ΔH₃ + ΔH₂ なので、
ΔH₃ = ΔH₁ − ΔH₂ = −394 − (−283) = −111 kJ
よって、CO の生成エンタルピーは −111 kJ/mol と求められます。
同じ結果は、反応式を加減する方法でも得られます。
①式 + ②式 × (−1) を計算する(②の逆反応を利用):
①:C(黒鉛) + O₂(気) → CO₂(気) ΔH₁ = −394 kJ
②の逆:CO₂(気) → CO(気) + ½ O₂(気) ΔH = +283 kJ
辺々加えると:C(黒鉛) + ½ O₂(気) → CO(気) ΔH = −394 + 283 = −111 kJ
歴史的にはヘス(1840年)がエネルギー保存則(1847年)より先に実験的にこの関係を発見しました。
ヘスの法則を体系的に適用すると、各物質の生成エンタルピー(生成熱)がわかれば任意の反応の ΔH を計算できる公式が導けます。
ΔH = Σ(生成物の生成エンタルピー)− Σ(反応物の生成エンタルピー)
単体の生成エンタルピーは 0 と定義されます(基準点)。
考え方:反応物も生成物も、いったん「各元素の単体」に分解してから改めて合成する、という迂回路(共通の中継点)を考えます。
エタノール C₂H₅OH(液)の燃焼エンタルピーを、各物質の生成エンタルピーから求めます。
C₂H₅OH(液) + 3O₂(気) → 2CO₂(気) + 3H₂O(液) ΔH = ?
各物質の生成エンタルピー(単体からの生成):
| 物質 | 生成エンタルピー(kJ/mol) |
|---|---|
| C₂H₅OH(液) | −277 |
| CO₂(気) | −394 |
| H₂O(液) | −286 |
| O₂(気)(単体) | 0(定義) |
公式を適用します:
ΔH = [2 × (−394) + 3 × (−286)] − [1 × (−277) + 3 × 0]
= [−788 + (−858)] − [−277]
= −1646 − (−277)
= −1369 kJ
よって、エタノール 1 mol の燃焼エンタルピーは −1369 kJ/mol です。
公式は「生成物の生成熱の合計 − 反応物の生成熱の合計」です。「反応物」を引く(マイナスする)のを忘れると符号が逆になります。
特に生成エンタルピーが負の値の物質を引くと「マイナス×マイナス = プラス」になる点に注意してください。
ヘスの法則が特に威力を発揮する場面を整理しておきましょう。
Q1. ヘスの法則(総熱量保存の法則)を一文で説明してください。
Q2. 次の 2 つの反応式からメタン CH₄ の生成エンタルピーを求めよ。
① C(黒鉛) + O₂(気) → CO₂(気) ΔH = −394 kJ
② H₂(気) + ½ O₂(気) → H₂O(液) ΔH = −286 kJ
③ CH₄(気) + 2O₂(気) → CO₂(気) + 2H₂O(液) ΔH = −891 kJ
Q3. 生成エンタルピーを用いて反応エンタルピーを求める公式を答えよ。
次の熱化学方程式を利用して、プロパン C₃H₈ の生成エンタルピー ΔH を求めよ。
① C(黒鉛) + O₂(気) → CO₂(気) ΔH₁ = −394 kJ
② H₂(気) + ½ O₂(気) → H₂O(液) ΔH₂ = −286 kJ
③ C₃H₈(気) + 5O₂(気) → 3CO₂(気) + 4H₂O(液) ΔH₃ = −2219 kJ
ΔH = −107 kJ
求める反応式は C₃H₈(気)の生成エンタルピーなので:
3C(黒鉛) + 4H₂(気) → C₃H₈(気) ΔH = ?
①×3 + ②×4 + ③×(−1) を計算する:
ΔH = 3×(−394) + 4×(−286) + (−1)×(−2219)
= −1182 + (−1144) + 2219
= −107 kJ
各物質の生成エンタルピーを以下の値とするとき、エタン C₂H₆ の燃焼エンタルピーを求めよ。
燃焼反応式:C₂H₆(気) + 7/2 O₂(気) → 2CO₂(気) + 3H₂O(液)
ΔH = −1562 kJ
公式 ΔH = Σ(生成物の生成熱)− Σ(反応物の生成熱)を適用する。
生成物:2×CO₂ + 3×H₂O = 2×(−394) + 3×(−286) = −788 + (−858) = −1646 kJ
反応物:C₂H₆ + 7/2 O₂ = −84 + 0 = −84 kJ
ΔH = −1646 − (−84) = −1646 + 84 = −1562 kJ
ダイヤモンドと黒鉛のエネルギー差を求める。以下の熱化学方程式から、黒鉛をダイヤモンドに変える反応のエンタルピー変化 ΔH を求めよ。
① C(黒鉛) + O₂(気) → CO₂(気) ΔH₁ = −394 kJ
② C(ダイヤモンド) + O₂(気) → CO₂(気) ΔH₂ = −396 kJ
また、求めた ΔH の符号から、黒鉛とダイヤモンドのどちらがエネルギー的に安定かを説明せよ。
ΔH = +2 kJ(吸熱)
黒鉛のほうがエネルギー的に安定。
求める反応:C(黒鉛) → C(ダイヤモンド) ΔH = ?
①式 − ②式 を計算する(①+②の逆向き):
① :C(黒鉛) + O₂ → CO₂ ΔH₁ = −394 kJ
②逆:CO₂ → C(ダイヤモンド) + O₂ ΔH = +396 kJ
辺々加えると:C(黒鉛) → C(ダイヤモンド) ΔH = −394 + 396 = +2 kJ
ΔH > 0(吸熱反応)なので、黒鉛からダイヤモンドへの変化はエネルギーを必要とする。つまり黒鉛のほうがエネルギーが低く、熱力学的に安定である(ダイヤモンドが永遠に輝くのは反応速度が極めて遅いため——熱力学的安定性と速度論的安定性の違い)。