第11章 化学反応と熱

ヘスの法則

「直接測定できない反応熱を、別の反応の組み合わせから求めたい」——そのための強力な武器がヘスの法則(総熱量保存の法則)です。
反応熱の総和は経路によらず一定という事実を使えば、エネルギー図の操作だけで未知の ΔH を計算できます。
この節ではエネルギー図による解法と、生成熱を使った公式の2つの計算手順を習得します。

1ヘスの法則(総熱量保存の法則)

化学反応のエンタルピー変化(反応熱)は、反応物と生成物の状態が同じであれば、途中の経路によらず一定です。これをヘスの法則総熱量保存の法則)といいます。

ヘスの法則(Hess's law)

反応の最初と最後の状態が定まれば、全体のエンタルピー変化は反応の経路によらず一定である。

すなわち、同じ出発物と同じ生成物に至る経路が複数あっても、それぞれの ΔH の合計は等しくなります。

具体例:NaOH の溶解と中和

固体の NaOH と希塩酸から塩化ナトリウム水溶液が生じる変化には、2 つの経路があります。

経路 1(2 段階):まず NaOH を水に溶かし、次に希塩酸を加える。

NaOH(固) + aq → NaOHaq ΔH₁ = −45 kJ …①(溶解エンタルピー)

NaOHaq + HClaq → NaClaq + H₂O(液) ΔH₂ = −56 kJ …②(中和エンタルピー)

経路 1 の全体のエンタルピー変化:ΔH₁ + ΔH₂ = −45 + (−56) = −101 kJ

経路 2(1 段階):固体の NaOH をそのまま希塩酸に加える。

NaOH(固) + HClaq → NaClaq + H₂O(液) ΔH = −101 kJ …③

経路 1 の合計(−101 kJ)と経路 2 のエンタルピー変化(−101 kJ)が等しくなります。これがヘスの法則の成立を示す実例です。

エネルギー図:NaOH と HCl の反応における 2 つの経路
NaOH(固) + HClaq
経路①
ΔH₁ = −45 kJ
経路②
ΔH = −101 kJ
NaOHaq + HClaq
経路② ΔH₂ = −56 kJ ↓
NaClaq + H₂O(液)
NaClaq + H₂O(液)
両経路の ΔH の合計は等しい:−45 + (−56) = −101 kJ

2エネルギー図を使った計算

ヘスの法則を利用すると、直接測定が難しい反応のエンタルピー変化も、他の反応のデータから間接的に求めることができます。反応式を組み合わせて消去する方法が基本です。

例題:CO の生成エンタルピーを求める

一酸化炭素 CO の生成エンタルピー(C(黒鉛)から CO が生成する ΔH)は、CO が不安定な中間体を経るため直接測定が困難です。しかし、以下の 2 つの燃焼エンタルピーは測定できます。

C(黒鉛) + O₂(気) → CO₂(気) ΔH₁ = −394 kJ …①(C の燃焼エンタルピー)

CO(気) + ½ O₂(気) → CO₂(気) ΔH₂ = −283 kJ …②(CO の燃焼エンタルピー)

求めたいのは:

C(黒鉛) + ½ O₂(気) → CO(気) ΔH = ? …③(CO の生成エンタルピー)

エネルギー図で考える

C(黒鉛)+ O₂(気)を出発点として CO₂(気)に至る経路を 2 通り考えます。

エネルギー図:CO₂ に至る 2 つの経路
C(黒鉛)+ O₂(気)
経路 A(直接)
ΔH₁ = −394 kJ
経路 B(2 段階)
ΔH₃ + ΔH₂
CO₂(気)
CO(気)+ ½O₂(気)
ΔH₂ = −283 kJ ↓
CO₂(気)
ヘスの法則より:ΔH₁ = ΔH₃ + ΔH₂

計算手順

ヘスの法則から:ΔH₁ = ΔH₃ + ΔH₂ なので、

ΔH₃ = ΔH₁ − ΔH₂ = −394 − (−283) = −111 kJ

よって、CO の生成エンタルピーは −111 kJ/mol と求められます。

同じ結果は、反応式を加減する方法でも得られます。

反応式の加減による解法

①式 + ②式 × (−1) を計算する(②の逆反応を利用):

①:C(黒鉛) + O₂(気) → CO₂(気) ΔH₁ = −394 kJ

②の逆:CO₂(気) → CO(気) + ½ O₂(気) ΔH = +283 kJ

辺々加えると:C(黒鉛) + ½ O₂(気) → CO(気) ΔH = −394 + 283 = −111 kJ

反応熱が経路によらないのはなぜか
エネルギーは「生成も消滅もしない」——エネルギー保存の法則が成り立つ
反応の前後で物質のエンタルピーの差(ΔH)は状態にのみ依存し、途中経路には依存しない
もし経路によって ΔH が異なるなら、エネルギーの無限増幅が可能になり矛盾が生じる
ヘスの法則は「エネルギー保存則」の熱化学への適用に過ぎない

歴史的にはヘス(1840年)がエネルギー保存則(1847年)より先に実験的にこの関係を発見しました。

3生成熱からの反応熱の計算

ヘスの法則を体系的に適用すると、各物質の生成エンタルピー(生成熱)がわかれば任意の反応の ΔH を計算できる公式が導けます。

生成熱から反応熱を求める公式

ΔH = Σ(生成物の生成エンタルピー)− Σ(反応物の生成エンタルピー)

単体の生成エンタルピーは 0 と定義されます(基準点)。

公式の導出

考え方:反応物も生成物も、いったん「各元素の単体」に分解してから改めて合成する、という迂回路(共通の中継点)を考えます。

  • 反応物 → 単体に分解:生成エンタルピーの逆向き(符号を反転)
  • 単体 → 生成物を合成:生成エンタルピーをそのまま使う
  • ヘスの法則より、両者を足せば直接の反応の ΔH になる

例題:エタノールの燃焼エンタルピーを求める

エタノール C₂H₅OH(液)の燃焼エンタルピーを、各物質の生成エンタルピーから求めます。

C₂H₅OH(液) + 3O₂(気) → 2CO₂(気) + 3H₂O(液) ΔH = ?

各物質の生成エンタルピー(単体からの生成):

物質生成エンタルピー(kJ/mol)
C₂H₅OH(液)−277
CO₂(気)−394
H₂O(液)−286
O₂(気)(単体)0(定義)

公式を適用します:

ΔH = [2 × (−394) + 3 × (−286)] − [1 × (−277) + 3 × 0]

  = [−788 + (−858)] − [−277]

  = −1646 − (−277)

  = −1369 kJ

よって、エタノール 1 mol の燃焼エンタルピーは −1369 kJ/mol です。

エネルギー図:生成エンタルピーを中継点とした経路
2C(黒鉛)+ 3H₂(気)+ ½O₂(気)
(各元素の単体 = 共通の基準点)
ΔH₁ = −277 kJ
(C₂H₅OH の生成)↓
2×(−394) + 3×(−286) kJ
(CO₂, H₂O の生成)↓
C₂H₅OH(液)+ 3O₂
燃焼 ΔH = ? ↓
2CO₂(気)+ 3H₂O(液)
2CO₂(気)+ 3H₂O(液)
ΔH = [2×(−394) + 3×(−286)] − [−277] = −1369 kJ
符号のミスに注意

公式は「生成物の生成熱の合計 − 反応物の生成熱の合計」です。「反応物」を引く(マイナスする)のを忘れると符号が逆になります。

特に生成エンタルピーが負の値の物質を引くと「マイナス×マイナス = プラス」になる点に注意してください。

4俯瞰:ヘスの法則が使える場面

ヘスの法則が特に威力を発揮する場面を整理しておきましょう。

  • 直接測定が困難な反応熱——例:C → CO(中間体のため直接測定できない)、Mg の燃焼熱(反応が激しすぎる)など。
  • 生成熱のデータから燃焼熱を計算——データ集に掲載されている生成エンタルピーを使えば、測定していない反応でも ΔH を推算できる。
  • 格子エネルギーの間接的な算出(ボルン=ハーバーサイクル)——イオン結晶の格子エネルギーは直接測定できないため、ヘスの法則を使って算出する(大学レベル)。
計算手順のまとめ
  1. 求める反応式を書く
  2. 使える反応式を列挙し、番号をつける
  3. 求める式になるよう各式を加減する(係数を調整・逆向きは符号反転)
  4. ΔH も同じ操作で計算する
  5. (生成熱公式を使う場合)ΔH = Σ(生成物の生成熱)− Σ(反応物の生成熱)に代入する

確認テスト

Q1. ヘスの法則(総熱量保存の法則)を一文で説明してください。

クリックして答えを確認
反応の最初と最後の状態が定まれば、全体のエンタルピー変化(反応熱の総和)は反応の経路によらず一定である。

Q2. 次の 2 つの反応式からメタン CH₄ の生成エンタルピーを求めよ。
① C(黒鉛) + O₂(気) → CO₂(気) ΔH = −394 kJ
② H₂(気) + ½ O₂(気) → H₂O(液) ΔH = −286 kJ
③ CH₄(気) + 2O₂(気) → CO₂(気) + 2H₂O(液) ΔH = −891 kJ

クリックして答えを確認
①+②×2+③×(−1) を計算する。ΔH = −394 + (−286)×2 − (−891) = −394 − 572 + 891 = −75 kJ。よって CH₄ の生成エンタルピーは −75 kJ/mol。

Q3. 生成エンタルピーを用いて反応エンタルピーを求める公式を答えよ。

クリックして答えを確認
ΔH = Σ(生成物の生成エンタルピー)− Σ(反応物の生成エンタルピー)

5入試問題演習

問 A A ヘスの法則・反応式の加減

次の熱化学方程式を利用して、プロパン C₃H₈ の生成エンタルピー ΔH を求めよ。

① C(黒鉛) + O₂(気) → CO₂(気) ΔH₁ = −394 kJ
② H₂(気) + ½ O₂(気) → H₂O(液) ΔH₂ = −286 kJ
③ C₃H₈(気) + 5O₂(気) → 3CO₂(気) + 4H₂O(液) ΔH₃ = −2219 kJ

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解答

ΔH = −107 kJ

解説

求める反応式は C₃H₈(気)の生成エンタルピーなので:
3C(黒鉛) + 4H₂(気) → C₃H₈(気) ΔH = ?

①×3 + ②×4 + ③×(−1) を計算する:

ΔH = 3×(−394) + 4×(−286) + (−1)×(−2219)
  = −1182 + (−1144) + 2219
  = −107 kJ

問 B B 生成熱からの計算

各物質の生成エンタルピーを以下の値とするとき、エタン C₂H₆ の燃焼エンタルピーを求めよ。

  • C₂H₆(気):−84 kJ/mol
  • CO₂(気):−394 kJ/mol
  • H₂O(液):−286 kJ/mol

燃焼反応式:C₂H₆(気) + 7/2 O₂(気) → 2CO₂(気) + 3H₂O(液)

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解答

ΔH = −1562 kJ

解説

公式 ΔH = Σ(生成物の生成熱)− Σ(反応物の生成熱)を適用する。

生成物:2×CO₂ + 3×H₂O = 2×(−394) + 3×(−286) = −788 + (−858) = −1646 kJ

反応物:C₂H₆ + 7/2 O₂ = −84 + 0 = −84 kJ

ΔH = −1646 − (−84) = −1646 + 84 = −1562 kJ

問 C C ヘスの法則・総合 入試発展

ダイヤモンドと黒鉛のエネルギー差を求める。以下の熱化学方程式から、黒鉛をダイヤモンドに変える反応のエンタルピー変化 ΔH を求めよ。

① C(黒鉛) + O₂(気) → CO₂(気) ΔH₁ = −394 kJ
② C(ダイヤモンド) + O₂(気) → CO₂(気) ΔH₂ = −396 kJ

また、求めた ΔH の符号から、黒鉛とダイヤモンドのどちらがエネルギー的に安定かを説明せよ。

クリックして解答・解説を確認
解答

ΔH = +2 kJ(吸熱)
黒鉛のほうがエネルギー的に安定。

解説

求める反応:C(黒鉛) → C(ダイヤモンド) ΔH = ?

①式 − ②式 を計算する(①+②の逆向き):

① :C(黒鉛) + O₂ → CO₂ ΔH₁ = −394 kJ
②逆:CO₂ → C(ダイヤモンド) + O₂ ΔH = +396 kJ

辺々加えると:C(黒鉛) → C(ダイヤモンド) ΔH = −394 + 396 = +2 kJ

ΔH > 0(吸熱反応)なので、黒鉛からダイヤモンドへの変化はエネルギーを必要とする。つまり黒鉛のほうがエネルギーが低く、熱力学的に安定である(ダイヤモンドが永遠に輝くのは反応速度が極めて遅いため——熱力学的安定性と速度論的安定性の違い)。

得点のポイント
  • ΔH = +2 kJ(符号も含めて正確に)
  • 吸熱反応 → 反応物(黒鉛)のほうがエネルギーが低い → 安定、という推論